日本子ども支援協会と岩朝しのぶさん

認定NPO法人 日本子ども支援協会の岩朝しのぶさんが登場する回。動画では、里親制度の啓発・里親支援・児童虐待防止という活動の中身、「0から1を生む」独自のアプローチ、バーテンダーや海外、通信代理店・保育所経営という多彩なキャリア、そして保育所から里親活動に転じた歩みまで、幅広く語られる。

活動 — 里親制度を広める

動画によると、協会には全国で約800人の関係者が関わり、毎月およそ500人の支援者がマンスリーサポーターとして活動を支えているという。岩朝さん自身も、夫とともに里親として子どもと暮らす「母」でもあると語る。里親制度の啓発、里親への支援、児童虐待の防止という、子どものための活動に一貫して取り組んでいるという。

知られざる「里親」と「養子縁組」の違い

動画によると、「里親」と聞くと多くの人が養子縁組を思い浮かべるが、実際は異なるという。特別養子縁組は年間600人ほどしか成立しておらず、それは「子どものいない夫婦が子を迎える制度」。一方の里親は「親と暮らせない子どもを家庭で迎える」もので、籍は持たなくてもこの子を育ててほしいという必要に応える制度だと説明する。ここが最も知られていない点ではないかと語る。養育里親や週末だけの里親など、いくつかの形があることを「まず知ってもらう」ことを活動の第一歩にしているという。

無償から有償へ — 活動を広げた転機

動画によると、協会は当初の約10年を無報酬のボランティアとして続けてきたという。動けば動くほど交通費などの費用がかさみ自分が困っていったが、ある人から「お金をもらわない=これくらいでいい、と見える。もらう=責任だ」と諭されたことが転機になったと振り返る。わずかでも報酬を受け、経費で活動できるようになったことで、かえって自由に動けるようになり、法人化を含め活動を一気に広げられたと語る。

0→1の発想 — 全国を「つなぐ」

動画によると、岩朝さんの取り組みは「これまで業界でやられてこなかったこと(0→1)」が多いという。従来は自治体や団体ごとに、それぞれ別々のチラシを別々の日に作って啓発しており、効果が上がらないまま同じことが何十年も繰り返されてきたと指摘する。広告代理店の経験から「課題は全国共通なのだから一緒にやればいい」と考えたが、予算や縦割りの壁で実現しなかったため、「それなら自分が費用を出して作り、無料で配る」と全国へ展開。今では毎年、各地から大量の申し込みが来るようになったという。国の枠組みを待たず「社会は自分たちで作れる」という姿勢を語る。

里親支援とオンラインの取り組み

動画によると、里親家庭には深く傷ついた子どもが迎えられることも多く、迎える側の里親が「どう接すればいいか」と悩む場面が少なくないという。そこで岩朝さんは、個別相談やオンラインでの相談、里親同士が集まるオンラインサロンなどを整え、全国の里親を「つなぐ」取り組みを始めた。長い里親制度の歴史のなかで、全国の里親をつないだのは自分が初めてだと語る(子どもに関する具体的な描写は編集部の判断で控えています)。

経歴 — 仙台での生い立ち

動画によると、岩朝さんは仙台の出身。生まれつき病を抱え、幼少期は長く入院生活を送り、学校にもなかなか通えなかったという。長期入院の間に両親が別れ、母が自分と妹を育てるひとり親家庭で育ったと振り返る。自分ではどうにもできない理不尽を経験するなかで育まれた「理不尽が許せない」という強い正義感が、今の活動の根っこにあると語る。学生時代はアルバイトと勉強に打ち込み、高校で始めた工場のアルバイトでは、10代半ばでラインのリーダーを任されていたという。

多彩なキャリア — バーテンダーから海外へ

動画によると、岩朝さんは高校卒業後、昼は学校に通いながら夜はバーテンダーとして働き、地元で女性として草分け的な存在だったという(協会・資格に基づくものだと語る)。3年ほどで貯金して単身カナダへ留学。自費で行くからこそ「絶対にただでは帰らない」という姿勢で学んだと振り返る。帰国後は香港に移り、広告代理店や日系の販売店で働いた経験もあるといい、複数の言語を話せると語る。

最初の起業 — 通信代理店から保育所へ

動画によると、最初の起業は、固定電話の回線を切り替える通信代理店だったという。経験者を引き入れて始め、当初から相応の売上があり、月に数千件規模を獲得して全国でも上位の代理店になったと語る(拠点は仙台、当時パート数十名規模)。その基盤の上で、子ども好きが高じて「毎日子どもに会えるように」と理想の保育所をつくった。利益はほとんどないが、人気で収支は成り立っていたという。

なお、事業を拡大していく時期には、信頼していた相手をめぐる金銭トラブルに見舞われ、苦しい時期もあったと振り返るが、本人は「大きな学びになった」と語る(第三者を特定する記述は編集部の判断で控えています)。

保育所から里親活動へ

動画によると、結婚を機に保育所を社員に分けていったん引退したが、結婚後に不妊治療を始めたことが、現在の活動への大きな転機になったという。「我が子にこだわって時間とお金を使うのか、それとも人生を使ってこの子たちを一人でも多く助けるのか」と考えるうちに、治療に戻れなくなったと振り返る。里親という存在を知ってしまったために「やらない選択肢がなかった」と語る。

経営観 — 「遠慮は誰のためか」

動画によると、岩朝さんはNPOの世界が経済界より「優しく、ある意味ぬるい」と感じており、日本の寄付文化を育て、福祉にもっとお金が回る社会にしたいと語る。かつては遠慮して寄付を集められなかったが、ある人から「遠慮することで救われない子どもがいるなら、それがあなたの求める結果なのか」と問われたことで考えが変わり、「年間で何億円でも集めて、一人でも多く、一日でも早く」と覚悟を新たにしたという。成果に徹底的にこだわる姿勢を語る。

健康と日々、そして展望

動画によると、岩朝さんは健康面の不安を抱えながらも、52歳になった今「3倍速で加速したい」と、朝から夜遅くまで活動しているという。自然豊かな場所に住み、ともに暮らす子どもや夫との時間も大切にしていると語る。最も大きな目標は、子どもを支援する全国の団体の「連合」をつくり、1日で大きな金額が集まるようなチャリティイベントを実現すること。視聴者へは「早期退職やセカンドライフに、里親という“第2の人生”の歩み方もある」と伝えたいと語る(里親を希望する場合は、まず管轄の児童相談所に相談する必要があるという)。

まとめ

動画では、里親制度の啓発という活動の中身に加え、「課題は全国共通だから一緒にやろう」という0→1の発想、多彩なキャリア、そして自身の歩みから生まれた「理不尽が許せない」という信念が描かれる。子どものために最善を最短で——という岩朝さんの覚悟が伝わる回となっている。

本編

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