兵庫県香美町の山間にある小代。ここで松田代表は、家業の宿を営みながら、テイクアウト店、食品EC、卸の現場を行き来している。午前は店に立ち、夕方には宿へ戻り、料理の仕上げまで担う。経営者は現場を離れるものだと思っていた時期もある。いまは、自分で入るから見える数字があると考えている。
大阪の飲食店で身につけた集客や運営の方法を持ち帰れば、地元でも通用する。Uターンした当初は、そう思っていた。ところが、都市部と同じように店を整えても、お客様は思うように増えなかった。技術や努力の前に、そもそも市場の大きさが違った。
松田代表が12年かけて向き合ってきたのは、派手な成長策ではない。売上の上限を見極め、人の配置を変え、仕込みや提供の流れを直す。小さな市場で利益を残すために、現場と数字を同時に見る。宿と飲食、EC・卸を続けてこられたのは、その細かな修正をやめなかったからだ。
宿を手伝うのが、暮らしの一部だった
松田代表が育ったのは、兵庫県北部の小さな町だ。小中学校は一学年一クラス。もともと人見知りで、子どもの頃から人前に出るのが得意だったわけではない。
祖母が始め、母へ受け継がれた民宿が実家だった。宿が忙しければ手伝う。そこに特別な理由はなく、家族の暮らしの中に仕事があった。小学校高学年の頃から少額のお小遣いをもらった記憶はあるものの、報酬があるから働くというより、手伝うのが当たり前だったという。
幼い頃から商売を志していたわけではない。ただ、お客様の様子を見て動くことや、宿の都合に合わせて家族が役割を変えることは、日常の中で身についていった。
営業を半年で辞め、飲食の現場へ
立命館大学文学部を卒業後、松田代表は求人広告の営業職に就いた。就職活動では広告や旅行の仕事に関心があった。だが、人見知りの自分と、新規開拓を続ける営業の仕事は噛み合わなかった。
入社から半年ほどで辞めた。次に選んだのが飲食だった。目の前のお客様の反応が返ってくる。店の流れを少し変えれば、売上にも、働く人の動きにも表れる。そこで初めて、仕事を面白いと思えた。
大阪ではカフェやレストラン、大型店の運営に携わり、責任者も経験した。店は料理だけでなく、集客と人員配置、提供までの流れで成り立つ。厨房だけを見ていても、商売は回らない。約10年の現場経験で、それを覚えた。
都会の成功法則は、田舎で止まった
30歳前後で地元へUターンした時、大阪で身につけたものへの自信はあった。食べログの活用、メニューの見せ方、店内のオペレーション。同じようにやれば、地元の商売も立て直せるはずだった。
実際には、集客に苦戦した。やり方が悪いだけではない。そもそも近隣に暮らす人の数も、外食の頻度も、通りがかる人の量も違う。
「池に魚がいないのに、いい餌を付けても釣れない」
どれだけ商品を磨いても、届ける相手が限られていれば売上には上限がある。都市部の成功体験を地方へそのまま持ち込む危うさを、松田代表は自分の失敗から知った。
家業から受け取った、言葉にならない接客
松田屋は、祖母、母、松田代表へと受け継がれてきた。家族から経営理念を教科書のように教わったことはないという。
それでも、お客様が困っていれば、できる範囲で手を差し伸べる。気づいたことを放っておかない。少しでも喜んでもらえる方法を考える。宿で暮らすうちに、そうした振る舞いが染みついていた。
大げさな「おもてなし」の言葉よりも先に身体が動く。家業から継いだのは建物や屋号だけではなく、お客様を見る習慣だった。松田代表が現在も現場に立つ理由の根には、この感覚がある。
離れるつもりだった現場へ、戻った
事業を継いだ当初、松田代表は、経営者なら現場を人に任せるべきだと考えていた。自分は数字や企画に集中し、日々の仕事から距離を置く。それが理想的な姿に見えた。
ところが、離れてみると、料理や接客の小さな違和感を拾えない。商品を変えた時も、なぜ反応が良かったのか、どこで手間が増えたのかが分からない。数字だけを見ていても、その手前で何が起きているかまでは見えなかった。
現在は午前にテイクアウト店へ入り、夕方から宿へ戻る日も多い。宿では最終調理まで担う。長時間働くことを勲章にしているわけではない。現場に入ることを、品質と改善点をつかむための経営判断として選んでいる。
宿が止まった時、コロッケを売った
新型コロナウイルスの影響で宿泊需要が落ちた時、売上をつくるために目を向けたのが、地元イベント向けにOEMで製造していたコロッケだった。
オンラインで販売すると、応援購入の空気もあり、注文が一気に入った。そこで終わらせず、販売の仕組みや商品を整え、ECと卸の事業へ広げていく。現在、公式オンラインストアでは但馬牛のしぐれ煮コロッケや、但馬牛100%のメンチカツなどを扱っている。
宿泊が止まったから、手元にあるものを売る。最初はそれだけだった。注文が入ると、売れた理由を考え、商品を整え、販路を広げた。偶然の売上を、続く事業へ変える。コロッケは、宿とは別の収益をつくる入口になった。
仮説を立て、試し、また直す
宿、飲食、EC、卸。業態は違っても、松田代表の仕事の進め方は変わらない。仮説を立て、試し、うまくいかなければ原因を探す。直して、もう一度試す。
本人は最近になって、なぜこれだけ仕事を続けられるのか、自分なりに腑に落ちたという。結果だけではなく、仮説と改善を往復する時間そのものが好きなのだ。
食事に出かけても、味や提供方法を自店へ置き換えて考えてしまう。仕事と遊びの境目は薄い。「12年間、やめたいと思ったことはない」と松田代表は笑う。根性で耐えてきた人の言い方ではない。試して、直して、反応を見る。その時間を本気で面白がっている。
売上を追う前に、構造を整える
地方の小さな市場では、売上を無限に増やすことはできない。新規客を増やす施策だけを重ねても、地域の人口や移動量という上限は変わらない。
だから松田代表は、経費の中身まで現場で確かめる。忙しい時間に何人必要なのか。仕込みにどれだけ手間がかかっているのか。提供の順番を変えれば、同じ人数でも回せないか。売上を追うだけでなく、残る利益を増やす方法を探す。
人を減らせば済む話ではない。無理が出れば、料理にも接客にも返ってくる。限られた売上でも、無理なく続けられる形に直す。地方の商売では「もっと売る」と同じくらい、「どう回すか」が重い。
家族を巻き込んだ先まで考える
妻も事業を手伝っている。松田代表には、自分が選んだ商売に家族を付き合わせているという意識がある。いつか「やって良かった」と思ってもらえる形にしたい。その責任は、毎日の運営だけに向いていない。
息子が将来、宿を継ぐかどうかは分からない。必ず継がせたいとも考えていない。売却、事業形態の変更、場合によっては終了も選択肢になる。
三代続いた家業でも、続けることだけを目的にはしない。誰に、どの形で渡すのか。あるいは、どこで終えるのか。そこを曖昧にしないことも、家族への責任だと考えている。
地方で得た知見を、別の現場へ
松田代表がこれから生かしたいのは、自社の12年間で蓄積した地方小規模事業の知見だ。事業計画だけではなく、厨房や売り場へ入り、人の動きと経費まで見る。机上の助言より、現場で一緒に直す支援に関心がある。
本人は「コンサルという言葉が自分に合うかは分からない」と話す。まだ事業として始めると決めたわけではない。それでも、同じように小さな市場で苦戦する事業者に対し、実務まで伴走して改善する仕事なら、自分の経験を役立てられると考えている。
地域は違っても、売上の上限を見ながら事業を成立させる難しさは似ている。必要とされるなら全国どこへでも行きたい。ただ助言を渡して終わるのではなく、まず現場へ入るつもりだ。
やりたいことと、得意なことの交差点
やりたいことだけで商売を続けるのは難しい。松田代表が最後に語ったのは、自分が得意なことを知る大切さだった。
松田代表が苦にならず続けられるのは、商売の構造を考え、現場の違和感を拾い、直した結果を確かめることだ。宿や飲食を見直す作業も、その得意の延長にある。
得意なことを武器にして、やりたいことへ関わる。松田代表は、二つが重なる場所を探してきた。大阪で覚えた型が田舎で崩れたあと、現場へ戻り、商売を一つずつ組み直した。その手つきは、いまも変わらない。
編集後記
取材中、松田代表の話は何度も現場へ戻った。提供の順番、人の配置、仕込みの手間。売上の話をしていても、最後に出てくるのは厨房や売り場で起きていることだった。
大阪で学んだ方法が地元で通じなかった時も、宿泊需要が止まった時も、手元の条件を見直して次の一手を探した。コロッケを売り始めた話も、いま再び現場へ入っている話も、その続きにある。
商売の規模を大きく見せるより、明日も無理なく回る形に直す。松田屋の12年は、その地道な仕事でつくられてきた。
事業概要
| 施設名 | MATSUDAYA(松田屋) |
|---|---|
| 運営者 | 松田代表 |
| 所在地 | 〒667-1503 兵庫県美方郡香美町小代区大谷634 |
| 主な事業 | 民宿、テイクアウト飲食店、食品EC・卸 |
| 系列店 | hatch coffee |
| 公式サイト | https://minshuku-matsudaya.com/ |
| オンラインストア | https://matsudaya.official.ec/ |