木村情報技術と木村隆夫さん
木村情報技術株式会社の木村隆夫さんが登場する回。動画では、インターネットのテレビ局のように医薬品・医療情報を全国へライブ配信する事業を中心に、多角化の中身、半導体の教育プラットフォーム、薬剤師・MRからの起業、創業期の絶望からの再起、そして63歳にして膨らむ夢まで、20年の歩みが語られる。
事業 — 医療情報のライブ配信
動画によると、同社は全国に11のスタジオを構え、製薬企業から依頼を受けて医薬品情報を全国の医療従事者へライブ配信しているという。年間で延べ300万人規模の医療従事者が視聴する規模だと語る。本社は佐賀県で、札幌・名古屋・大阪・福岡・東京など主要都市に拠点を置いていると話す。
多角化 — AI・eスポーツ・エンタメ
動画によると、近年は人工知能の事業に加え、アイドル関係やeスポーツ、映像作品の制作、漫画・アニメーション関連のプラットフォームづくりなど、事業を幅広く広げているという。とくにアニメーション動画の制作・配信に力を入れ、世界進出も準備していると語る。
半導体の教育プラットフォーム
動画によると、木村さんが特に力を入れているのが、アルファ世代・Z世代に向けた教育プラットフォームだという。全国の高等専門学校など(動画によると50校ほど)に、半導体を学べる教育プラットフォームを無料で提供。半導体設計ソフト(EDA)を使い、高校生や教員がプロのような半導体設計を半年ほどかけて体験できる仕組みで、半導体人材の不足を見据え、小中高・大学のリスキリングにも展開しようとしていると語る。
経歴 — 薬剤師・MRからの起業
動画によると、木村さんは起業して丸20年。起業前は大手製薬企業で18年ほど、大学病院などで医薬品営業(MR)を務め、薬剤師でもあるという。子どもの頃は「ボーッとした」目立たない少年だったが、サッカーを通じて積極性が育まれ、学生時代は飲食・接客のアルバイトで人との交流を学んだと振り返る。起業家育成セミナーで皆が口々に「これからはIT」と言うのを聞き、自分の強みである医療とITを掛け合わせれば——と考えたのが起業のきっかけだと語る。
起業の決断と「99%の反対」
動画によると、製薬会社での営業は順調で出世も早く、辞める理由はなかったが、会社同士の合併が報じられ、早期退職制度で通常より多い退職金を得られると知ったことが転機になったという。「人生一度きり、新しいことに挑戦したい」と、明確なアイデアもないまま退職。退職金で家のローンの一部を返し、残りを資本金(最初1000万円、累計3000万円ほど)に充てた。家族を含め周囲の99%に反対されたが、「失敗してもアルバイトで何でもできる」と踏み切ったと語る。
起業初日 — 自宅2階から
動画によると、退職金で贅沢をすることもなく、会社を辞めた直後に3人目の子が生まれ、赤ちゃんを抱きながら起業の準備をして、自宅の2階から会社を始めたという。本当にやりたかった壮大な事業は「いったん宝箱にしまい」、まず何を売るかから考えたと振り返る。
最初の事業 — テレビ会議システム
動画によると、最初の事業は、海外(北京)の会社に独占で作らせたテレビ会議システムだったという。Skypeが出るか出ないかの時代、中国とのやり取りで使った会議システムの可能性に着目し、自社オリジナル製品(現在のZoomに匹敵するもの)として展開。ただしADSLすら十分でない通信環境のなか、テレビ会議システムを売り歩くのは大変で、首都圏に出て売らねばならない難しい市場だったと振り返る。
創業期の絶望 — 2年で3400万円の赤字
動画によると、創業から2年で3400万円ほどの赤字を抱えたという。1年目の売上は90万円ほど、2年目は1500万円ほどで、契約金やサーバー費用がかさんで「なぜこんなに赤字が出るのか分からないほど」だったと語る。銀行も貸してくれず、家を担保に借り入れ、父からも借りて何とかつないだ。「自宅も来週は自分のものではない」と覚悟しながらも、「3年間は石にしがみついてでも潰すな」という先輩の言葉を支えに踏ん張ったという。
1本の電話が変えた運命
動画によると、転機は、医療系プロフェッショナル育成の国の大型予算事業に、自社のテレビ会議システムやコンテンツ作成・学習管理のシステムをパッケージで提案できたこと。土曜の午後に大学の先生からかかってきた「君のところのテレビ会議を使いたい」という1本の電話が運命を変えたといい、「あの時会社にいなければ今はない」と振り返る。複数の組織にシステムが採用され、3年目には累積赤字を一掃。利益が出たぶんは現金で社員に渡したという。佐賀のベンチャーキャピタルからの出資が信用となり、その後は銀行融資も受けやすくなったと語る。
スタジオ事業への転換と危機からの学び
動画によると、当初はライブ配信のたびに一流ホテルの会場を借り、機材を持ち込んで配信していたが、会場費は製薬企業が負担し自社の利益にはならなかった。価格競争などの困難もあったが、「それなら自社でスタジオを作ればいい」と発想を転換。全国にスタジオを構えたことで機材輸送費・移動費・会場費が不要になり、イベントや仕事が爆発的に増えたという。また、運営していた大規模な会員システムのサーバーが飛んでデータが失われた際には、社内にコールセンターを設けて半年かけて一件ずつ手作業で復旧し、信頼を取り戻したという(第三者に関わる内容のため、具体的な記述は控えています)。
採用・人材育成への投資
動画によると、創業時は資金がなくハローワーク中心の採用だったが、現在は媒体やSNSも活用しているという。新卒も毎年採用し、インターンシップを強化。半年前に研究開発(R&D)部門を5名から54名へ一気に拡大し、3年で14億円規模を投じて新規事業を生み出す「箱」を作ったという。若い人が自分で事業を立ち上げ、いざとなれば社長や部長になれる——そんな環境を整えていると語る。
ライフスタイルと経営理念
動画によると、木村さんは朝6時に起きてランニングやトレーニング(格闘技の試合にも出るという)をこなし、日々を楽しんでいるという。時計も車もごく普通で「納豆と鮭があれば満足」と笑う。経営理念は「人に喜ばれること」「感謝と和合」。顧客に対しても「目の前のあなたを出世させる」「製品をシェアNo.1にする」という姿勢で、サービスを買った“後の未来”を提案していると語る。事業を選ぶ基準は、誰も手をつけていない「ブルーオーシャン」と「Always New Idea」だという。
夢と視聴者へのメッセージ
動画によると、木村さんは「60〜90歳の30年こそスパート」と語り、釣り、自分の寿司屋や飲食店、農業・牧畜、旅、格闘技など、やりたいことは尽きないという。視聴者へは「ベンチャーが20年生き残る確率はわずか。人生一度きり、失敗してもいいからやる。ただしやるなら徹底的に勉強し、金儲けだけでなく“人に喜ばれること”を軸に、自分が貢献したいという思いで突っ走ってほしい」とメッセージを送る。
まとめ
動画では、薬剤師・MRから「医療×IT」で起業し、2年で3400万円の赤字という絶望を1本の電話から立て直し、スタジオ事業・教育・エンタメへと広げてきた木村さんの20年が描かれる。63歳にしてなお夢が膨らむ、その熱量が伝わる回となっている。
本編
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